1~30題
■背景30題
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1 フェンス
海沿いの道路にそって、どこまでも切れ間なく高い網状の防壁が続いていた。コンクリートの下方には、海水がすぐそこまで迫っている。昔は、船の停留所だったらしい。用途をなさなくなってからは、自殺志願者の拠り所となったもようで、海と陸地の境に高いフェンスが設けられるようになった。フェンスの網目に指をかける、潮風に晒されても錆びていない。隔てられた空間に寂しさが募る。
海の向こうへ渡りたい。
2 電柱
石が無数に転がる未舗装の道に、太い木の支柱が点々と一列に並んでいた。表皮は焦茶色にくすんでおり、かなり長い年月雨風に晒されてきたのだと判断できた。木の天辺には電線が通してあり、隣り合って並ぶ木と木を繋いでいる。辺りは一面の松林。電気が通っているということは、この先に人がいる証しである。
3 風車
神社の宮の手前にカラカラと廻る風車があった。四段に分かれた横木に、赤、黄、青と色とりどりの花が並んでいる。吹く風の強弱によって回転する風車の数に差異がでる。廻らない風車にやきもきしている子供が見えるようで、私は息を吹いてやる。くるくると動く姿に満足していると、びゅうと一つ大きな風が起こった。
一斉に廻りだす風車。負けた。
4 茶室
案内されたところは、一間ほどしかない切妻屋根の小さな別棟だった。障子張りの戸口は子供の身の丈よりも低く、地面を這う形でなければ入れない。漸く室内に躰を入れ、頭をあげると和服姿の人物が二、三人ほど端座していた。い草を編み合わせた畳は青々としていてまだ新しいようだ。どうやって入れたのか不思議がる。窓は高い位置に通気口としてついているくらいだ。荒壁のどこかに仕掛けがあって開くようになっているのか。
扉から左奥の床前に水瓶や茶器があった。
5 屋敷
坂を登った先にある、古い洋館はいつ来ても人の気配を感じなかった。故におばけ屋敷とも呼ばれている。
先の尖った二つの双塔が、真ん中の建物に寄り添う形でついている。窓の数からして部屋数は有に20を越えていそうだったが、どの窓も暗い色のカーテンで閉ざされていた。鉄格子のついた塀の向こう側には、デイジーなどの花が咲いており、芝生も手入れが行き届いていることから、人は存在しているようだった。金色の目をした黒猫だけが、自由に屋敷の庭を行き来する。重厚な扉の向こうに誰が住んでいるのか、気になった。
6 襖(ふすま)
祖父の家にある和室の客間には、豪奢な押入れがある。
両開きとなった鳥の子紙の襖の一対には亀と蓮が描かれ、もう一対には鶴と牡丹が羽ばたいている。生きているような其れは、異界へと続く入り口の番人のように思え、近づくのさえ緊張を強いられた。
ある朝、勇気をもって黒縁の丸い取っ手に指をかける。怒られぬことを確認して引いてみるが、いつも中は普通の物入れなのだ。
7 寺院
小さい頃に遊び場だった寺院は、東の空き地へと移転されたらしい。建物もみな改装されたとのことだ。
枯れ木ばかりが目立っていた前の庭とは違い、松やオンコの木、水仙などが目を楽しませる。朱門のすぐ傍には水子の地蔵があり、そこから前方を辿ると石碑がある。赤い屋根の寺院は小さいながらも、真新しいせいか悠々とした風情があった。青空によく映える。
8 大雪
冬、山はどこも白い布団を被り眠りに入る。静寂のときを繋ぐため、雑多な人間は寄せ付けない。傍若無人にも侵入しようものなら、腰まで埋まる雪に命を奪われかねなかった。音の無い世界に降る雪は、大木さえも身の重みで押し潰す。大雪の脅威に勝てるのは、春の太陽しかいない。
9 遊園地
廻る大きな観覧車が木々の緑の合い間から見えてくると、嬉しさは笑顔となって弾けた。空を飛ぶ船、思うが侭に人を翻弄するジェットコースター、ぐるぐる回るティーカップに目が回る。
お姫様気分のメリーゴーランドは子供だけのうち、最後はやはり景色を一望できる観覧車で締めくくり。オレンジ色の夕日が駆け回った遊園地の中を染める。遊びつかれた心に、快い涙が伝う。今度はいつ来られるのだろうか。
10 交差点
人の群れは白い線の上を歩むことなく、無作為に流れいく。人の作ったルールなどまったくの無視だ。そこには新たしいルールさえ生まれている。交差点の真ん中に取り残された人の横を車が通る。行き場は失われた。四方からクラクションが鳴る、慌ただしい世界。
11 山道
岩の突き出た斜面が延々と続いていた。岩と岩との間から、高山植物が小さく可憐な花を咲かせているが見る余裕はない。道は緩やかに見えて足腰にきた。覆いのない開けた空から日差しが降りそそぐ、太陽が僅かに近い。振り返るといままで歩いてきた、山道が緑に包まれて彼方に見えた。
12 庭園
塀のように辺りを囲う杉の間を通り抜けると、不意に芝生が現れた。突如として開けた視野に、美しい伊太利式の庭園が映る。白い煉瓦造りのアーチの傍には二体の天使が空へと羽ばたかんとし、中央から噴きあがる噴水の周りには花が咲き誇っていた。低木で作られた花壇は幾何学状に組まれており、シンメトリーな美しさはパズルを連想させる。
花を求めて紋白蝶が目の前を横切った。
13 歩道橋
駅から歩いてすぐのところにある歩道橋をよく利用していた。道路をあともう一本渡れば信号機はある、だが抜けきらない癖のように足は歩道橋へと向かってしまうのだ。階段の手摺などはもう錆び付いている、橋げたのコンクリートの一部も所々に亀裂が入り、身の危険さえ抱かせた。
足下の四車線の道路を車が走っていく、急ぐ奴等を踏みつけにした気分。これが、たまらない。
14 公園
乗り入れ禁止の鉄柵があるので、自転車を降りて公園内に足を踏み入れた。学校が始まったばかりの時間のために人気は少ない。中央に土を盛り上げた土手があり、その向こう側に箒で地面を掃く、おじいさんの姿が見えた。土手山に登り、ぐるりと配置された遊具を見渡すが、他に人はいないようだった。
公園の隅には花が申し訳程度に咲いている。ハルニレの木に挟まれたベンチを見やる、そこに小さな箱が置かれていた。
15 廊下
項垂れて見下ろす茶色の床は、ただ冷たい印象を与えた。閉じられた各部屋のドアは、自分を拒絶しているかのように見える。一直線に伸びる通路からは誰も歩いてこない。私はひとりここにいる。窓ガラスから部屋の様子が覗けたが、瞳はじっと白い壁に向けた。寒寒とした空気が廊下に漂う。
16 保健室
白い窓枠の向こうに青空とグラウンドの影が微かに見えた。先程まで騒々しかったおもてのざわめきは、チャイムの音とともに鳴り止んだ。腹痛を起こした体は、色のないベッドに抱かかえられている。
閉じられたカーテンの隙間から保健婦の姿がちらちらと見えた。仄かに香る薬品の匂いが精神安定剤となる。ここにだけは自分の居場所があった。
17 体育館
磨き上げられた板張りのフロアの中央に、置き忘れられたバスケットボールが転がっていた。ダンッとひとつボールをつけば音は高い天井まで鳴り響く。三つあるバスケットゴールのうちの一つにシュートを決める。ひとりで何度もシュートを狙う自分を、入学当初から飾ってある壇上うえの校章旗が見ていた。
18 教室
40ある机はすべて深緑色の黒板に向けられ、授業の開始を待つ。黒板とは反対側の壁には、先日の写生会で描かれた絵が並ぶ。窓の外には月が昇り、教室内を仄かに照らす。ガラリと開いた扉から沢山の生徒たちがなだれ込み、夜の学校の始まりとなる。
19 土間
ペルシャ絨毯が敷かれたリビングの奥に、仕切りのない別部屋があり、趣味で集めたと思われる鉢植えが並んでいた。植物園のような有様に惹かれ近づいてみると、一段低くなっていることが知れ、足元に注意が向く。何故こんなところに外履き用のスリッパがあるのかと思えば、土が剥きだしとなった土間になっていた。
スリッパをひっかけて脚を踏み入れれば、中央の金魚の入った水槽がブクブクと音を立てる。ここだけ、ほんのりと空気に水分が多く含まれている。
20 図書室
図書室の奥まった場所にある資料室は人気がなくて、足を踏み入れる者の数は少なかった。並ぶ図書の背表紙はどれもくすんで古ぼけた印象を与え、解読できない漢字も多い。
彼に誘われて入ったものの本を手に取る気にはなれない。用事は別にあると解かっていた。背より高い本棚が周囲を欺く、本と彼に挟まれて私は目を閉じる。
21 美術室
手探りで木の壁を指で伝い、電気のスイッチを入れる。薄暗かった室内に灯りが燈り、絵の具の色が染み付いた机が露わとなる。机が部屋のほとんどの位置を占拠するため、移動しようとすると壁伝いに置かれた戸棚に、いつもぶつかりそうになった。窓際に設置された水洗い場が、唯一の避難場所だ。
雑然と物が置かれた戸棚の一部、ビーナス像の横に粘土細工の人形があった。一目で彼の作品だと解かる。コンクール用に作られたものか、その愁いた質感が感性に響き渡り、即座に惚れた。
22 キッチン
念願だった対面型のキッチンで調理する。黒の石材を使ったシンクに、紫色の台が周りのインド製の家具と調和し、オリエンタルな風貌を醸しだす。キッチンの向こうに皆の姿が見えた頃、美味しそうな匂いが漂う。
23 玄関
修繕されていない呼び鈴は使い物にならず、決まって僕は引き戸を開けて祖母を呼ぶ。格子ガラスの戸はいつも鍵がかけられていない。物騒極まりないが、所々ひびの入った外装の古い家屋を見れば、泥棒にも見限られるというものである。
靴棚の上には金魚の入っていない水槽が、苔を生やしたまま放置されている。玄関には祖母の赤いサンダルがだされてあった。
24 ベランダ
夜更けにベランダの窓を開けて静に表へと出る。昼間に降った雨が石床を濡らし、裸足のあなうらにひんやりとした刺激を与えた。ベランダの左手には三分の一のスペースを陣取る天体望遠鏡がある。眼下には闇に沈んだ川がある、空は澄んだ空気に満ち星を見るのには最適だった。
25 寝室
夢から覚め瞼を開く。一段下がった丸天井のシャンデリアが光り、目に眩しかった。躰にはビロード黒い毛布がかけられている。デスクに飾ってある天使の置時計の針は“8”を示していた。窓はすべて潰してあるので夜か朝かはわからない。ベッドから起き上がり、赤い絨毯を踏みしめるとガラスのテーブルに盛り付けられたフルーツに手を伸ばす。
26 風呂場
赤銅色のレンガで取り囲われた浴槽に、たっぷりとした湯が張られている。二本の支柱の中央には口を開けた雄ライオンが湯を吐き出し、赤く色付いた間接照明が揺らめく水面を妖しく輝かせた。躰を浴槽に浸す彼が微笑みながら私を見る。
27 住宅街
Aの家は、車一台も通れない細い路地の坂をのぼったところにある。石垣、板垣、生垣、透垣、色んな垣根が家のプライベートを守るかのように並んでいる。閉鎖された異空間。隔てられた塀の向こうから、隠れた人々に監視されている気がするのは単なる妄想か。圧迫感が早く立ち去れと急かす。見上げる空の青さを目一杯に感じ取った。
28 見上げた学校
白い校舎の中央で廻りつづける時計を見上げた。二階校舎の建物に、まるで三階までがあるように見せかけた塔の突き出しに、時計は設置されている。いつも正確に時を刻みつづけていた。
29 京都の町並み
景観を遮る高い建物はなく、遠くにある山の頭部まで見渡せた。
木造の平屋が多い街を歩いていると、軒にぶらさがる風鈴の音が聞こえてくる。音に導かれてみれば、格子窓の向こうに並べられた硝子細工の小物に惹かれた。
少し歩けば寺へとつく、その前に重たい鐘の音が響き渡った。
30 高層ビルからの眺め
強化ガラスで出来た冷たい窓に手をつけ、下界を見おろす。
人の影はあまりに小さく足許を歩く蟻のようだ。昼間から情事に耽るふしだらな者にも気付かず、せせこましく行き交っている。
狭い空間に敷き詰められた建物に鬱陶しさを感じた。乱雑に投げ捨てられたゴミのようだ。掃き溜めの上に僕らはいる、だが上界にいる自分たちより下界にいる人間のほうが、はるかに生きていると感じるのは不思議だ。天に近い僕らはたぶん、死人にも近い。
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